はじめに

 紋章は中世の騎士が戦場における騎士個人を識別する標(しるし)として、盾にそれぞれ固有の図形を描いたものに始まりますが、継承実績を具備することが要件とされます。このことから父祖伝承の紋章に家門の誇りの性格が加わり、火器の発達で戦闘に盾を使用しなくなってからは、スティタスのシンボルとしての存在に変化していきました。

 紋章の起源説もいろいろありますが、「戦場における騎士個人を何某の誰と識別する手段として、盾に描かれた図形で、かつ子々孫々に継承されたもの」というもっとも普遍的な定義に従うと、ヨーロッパの紋章は1010年頃ドイツで始まったとする説が有力です。そしてフランスを経て、イングランドに導入されたのが12世紀中頃を過ぎてからということになっています。例え盾に描かれた図形であっても、継承の実績を残していないものは、単に「しるし(emblem)」と呼ばれて、紋章(coat of arms, heraldry)とは明確に区別されています。

 イングランドで最初の紋章使用者とされるのは、ヘンリー2世の庶子あたるウィリアムです。彼は婚姻によりソールズベリー伯になったのですが、祖父のアンジュー伯ジョフロア5世の使用していた盾を継承したのです。異母兄ジョン王の良き相談役として要職についたりして活躍しました。そしてその紋章は、ウォリック伯夫人となった娘のアデラにも継承されました。父のヘンリー2世については紋章使用の実績はありませんが、祖父から娘まで3代に渡っての実績により最初の使用者ということになりました。ちなみにジョフロアはフランスのアンジュー伯だったために最初の使用者とはならなかったようです。

 また、イングランド国王での最初の紋章使用者はリチャード1世になっています。盾に描かれているのは一応ライオンということになっていますが、豹という説もあり実際ヘンリー3世の治世の1235年には、神聖ローマ皇帝フリードリッヒ2世(1194~1250)が生きた豹3頭をヘンリー3世に送ったという記録もあり、3頭のライオンと正式に決められたのはヘンリー7世の時代です。


 紋章に使用できる色は、金属色として金色(オーア or 、黄色で代用可)、銀色(アージェント argent 、白色で代用可)の2色、原色として、赤色(ギュールス gules)、黒色(セーブル sable)、青色(アジュール azure)、緑色(ヴァート vert)、紫色(パーピュア purpure)の5色、まれに小豆色(マレー murrey)、鮮血色(サングイン sanguine)、橙色(テニー tenné)の3色も使われることもあります。そしてもうひとつ、毛皮模様も色として扱われます。オコジョ(シロテン)の毛皮を表したアーミン(ermine)、リスの毛皮を表したヴェア(vair)です。色名に英語が使われていないのは、紋章のシステムが大陸から伝わったせいで、古フランス語が使われているのでそのように表現されます。

 日本の紋章(家紋)においては、本家と分家の使い分けはあまりありませんが(皇族や徳川家のように区別がある場合もあります)、イギリスにおいては完全に本家と分家の区別があります。それは、戦場において盾に描かれた紋章によって個人を特定したからです。区別といっても本家の紋章になんらかの変更があるくらいで、ライオンの紋章が鷲の紋章になるというような極端なことはありません。またそのことは、彩色のルールにもあてはめられて、金属色の上に金属色とか、原色の上に原色というような色使いは視認性の問題から原則禁止にされています(例外もあります)。

 

 見本にあげた紋章の使用者の名前を見てもらえばわかると思いますが、Gilbert de ClareとかHenry de Lacyとか名前と苗字の間にdeという文字が入っているのは、もともとはフランスの貴族だからです(ドイツだとvonが入りますね)。それは彼らの先祖が1066年のノルマン・コンクェストで、ノルマンディー公ギョーム2世(後のイングランド王ウィリアム1世)に率いられてフランスからイギリスに侵攻し定住したからです。のち14~15世紀にはdeはだんだん使われなくなっていきましたが、現在でも何家かはde Vere-Beauclerc(二重姓)のようにdeが残っている家もあります。